大判例

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大阪地方裁判所 昭和49年(わ)2875号 判決

主文

被告人を懲役三年および罰金五〇万円に処する。

未決勾留日数中五〇日を右懲役刑に算入する。

右罰金を完納することができないときは、金五、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中、証人早水忠雄、同中林数教、同野田開治、同桝矢顕文、同中野昭吉に支給した分は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一、野田開治、中林数教、桝矢顕文、前田公生、溝口弘および川崎秋彦らが、共謀のうえ営利の目的で韓国から覚せい剤を密輸入しようと企て、

一、昭和四九年九月一三日ころ、右野田において韓国人朴正益から木彫置物二個内に分散して隠匿されたフエニルメチルアミノプロパン塩類を含有する覚せい剤粉末約二キロ五〇〇グラムを仕入れたうえ、右中林においてこれを携帯して韓国釜山空港から日本航空九八二便航空機に搭乗し、同日午後四時ころ、大阪府豊中市螢ケ池西町三丁目五五五番地伊丹空港に到着してこれを本邦内に持ち込んで、右覚せい剤粉末約二キロ五〇〇グラムを輸入し、

二、同月一四日ころ、右野田において前記朴から木彫置物一個内に隠匿された前同様の覚せい剤粉末約一キログラムを仕入れたうえ、右野田および桝矢においてこれを携帯して前記釜山空港から大韓航空二〇七便航空機に搭乗し、同日午前一〇時四二分ころ、前記伊丹空港に到着してこれを本邦内に持ち込んで、右覚せい剤粉末約一キログラムを輸入し、もつて同人らが覚せい剤取締法違反の各犯行を遂げた際、予めその情を知りながら、同月二日、大阪市北区玉江町二丁目一番地株式会社ロイヤルホテルにおいて、右野田から、右覚せい剤仕入れ資金の一部二、四〇〇万円を渡されてこれを銀行保証小切手にすることの依頼を受け、同日、同市同区堂島浜通一丁目一五番地の一株式会社三菱銀行大阪支店に右現金を持参して赴き、かねて同店に開設していた普通預金口座中の一〇〇万円とあわせて額面五〇〇万円、同支店店長振出名義の銀行保証小切手の発行を依頼し、同小切手五通(昭和五一年押第五一五号の一)の発行を得たうえ、これを右野田に交付し、もつて右各犯行を容易ならしめてこれを幇助し、

第二、法定の除外事由がないのに、営利の目的で、同月二二日ころの午後七時ころ、大阪市大淀区大淀町南二丁目二番地株式会社ホテルプラザ一、〇二九号室において、前記野田から、前同様の覚せい剤粉末約二〇〇グラムを代金三二〇万円の約束で譲り受け、

第三、前記野田、中林、前田、溝口および川崎らが、共謀のうえ覚せい剤を密輸入するに際し、同月三〇日ころ、右野田において前記朴から木彫置物二個内に分散して隠匿された前同様の覚せい剤粉末約四キロ五七七・四六グラムを仕入れたうえ、右野田および中林においてこれを携帯して前記釜山空港から大韓航空三〇一便航空機に搭乗し、同日午後四時一一分ころ、福岡市博多区大字上杵井字柳井三四八番地福岡空港に到着し、同日午後四時三〇分ころ、同空港内福岡空港税関支署旅具検査場において税関職員の旅具検査を受ける際、前記覚せい剤粉末を木彫置物内に隠匿している事実を秘匿してそのまま通関して、不正の行為によりこれに対する関税一五万九〇〇円を免れ、もつて、同人らが関税法違反の犯行を遂げた際、予めその情を知りながら、同月二一日、前記ホテルプラザにおいて、右野田から右覚せい剤仕入れ資金の一部二、九〇〇万円を渡されてこれを銀行保証小切手にすることの依頼を受け、同日、自分で、あるいは、他人を介して、前記のとおり、前記三菱銀行大阪支店で額面一〇〇万円、同支店店長振出名義の銀行保証小切手の発行を依頼し、同小切手二九通(前同号の二はその一部である。)の発行を得たうえ、これを野田に交付し、さらに、前判示のとおり、同月二二日ころの午後七時ころ、右ホテルプラザにおいて、野田から「二四日に渡韓するから急いで売り捌いて欲しい。」旨の依頼を受けて前記のとおり覚せい剤約二〇〇グラムを代円三二〇万円の約束で譲り受け、その後これを処分したうえ、同月二三日、右ホテルプラザにおいて、右代金内金二五〇万円を野田に交付し、もつて右犯行を容易ならしめてこれを幇助し

たものである。

(証拠の標目)(省略)

(検察官および弁護人の各主張に対する判断)

一、検察官は、判示第一および第三の各犯行について被告人は判示野田らとの共同正犯の罪責を負うべきである旨主張し、一方、弁護人も、判示第一および第三の各犯行については被告人は幇助犯としての罪責をも負うものではなく、また、判示第二の犯行については証拠上かかる事実は認定しえないとして、判示のいずれの犯行についても被告人は無罪である旨主張しているので、以下、右各主張を排斥した理由につき説明することとする(なお、以下、昭和四九年内の事項については原則として単に月日のみを記載する。)。

二、判示第二の犯行について有罪と認定した理由

1  弁護人の所論にかんがみ、先に、判示第二の犯行について無罪をいう弁護人の主張から検討して行くこととするが、この点についての弁護人の理由とするところは、要するに、(イ)判示の日時場所において被告人に覚せい剤約二〇〇グラムを譲り渡したという証人野田開治の証言は全体として極めて信用性に乏しく、有罪認定の根拠とはなし難い、(ロ)しかして、関係証拠によれば、本件犯行日時と認められるべき九月二二日の午後七時ころには被告人は覚せい剤譲受場所である判示ホテルプラザにはいなかつた(いわゆるアリバイの主張)というのである。

2  そこで、まず、被告人に覚せい剤約二〇〇グラムを譲り渡した旨明言する証人野田開治の証言の一般的な信用性を検討するに、同証人は、判示各犯行に至る経緯および各犯行状況につきかなり詳細かつ具体的な証言をしており、また、同証言内容は、本件争点に関する事柄は別として、おおむね他の関係証拠にも符合するところであるから、同証人は、本証言当時においても、その証言事項につき比較的正確な記憶を保持していたものと認められるのみならず、同証人の証言態度をみても、同証人が被告人に刑責を被せようとしてことさら虚偽の事実を述べているとは認められない。

弁護人は、同証言の信用性を否定すべき理由として、同証言には、尋問者を異にし、あるいは公判期日を異にして矛盾する点が多いこと、さらに、同証人には実際以上に被告人の役割を強調しようとする傾向がみられることなどをあげている。

なるほど、同証言には、弁護人指摘のとおり、証言内容の齟齬やあるいは趣旨の一貫しない曖昧な部分が散見されないわけではないが、同証言は事件後一年半ないし二年ほどのちになされているものであるうえ、同証人は判示の各犯行前にも比較的短期間に多数回の覚せい剤密輸入を行なつており、また、同証人は本件をめぐる密輸入の主犯格であつたことから、捜査段階以来ひとり本件被告人のみならず判示第一の五名の共犯者を含む数多くの関係者について供述を求められていたであろうこともあわせ考えると、右証言当時、月日の経過により、あるいは、記憶の混同、拡散により、ある程度の記憶違いや記憶の曖昧な点が存し、これがため、そのような事柄については不明確な証言部分が生ずることも、むしろ自然というべきものであり、現に、弁護人が具体的に指摘する点の多く(例えば、九月二二日に被告人と「あした出発するから」というやりとりをしたか否か、九月二四日の渡韓の際三〇〇万円分の銀行保証小切手を持参したか否かなど)も以上の限りでの矛盾などと考えられ、この点、野田証言の信用性を根本的に否定すべき事由とはなし難い。

また、弁護人が、野田証人には実際以上に被告人の役割を強調しようとする傾向がみられるという点についてみると、同証人は、例えば七月三〇日の覚せい剤密輸入の件につき「浦井検事さんに『なぜ嶋田君だけ起訴にならないのか』と言つたことがある。」旨述べるなど、自分や判示中林、桝矢が起訴されて被告人が起訴されていないことに不満の意を持つていることを窺わせ、現に、被告人の役割を実際以上に強調するような表現、内容の証言部分の存することも否み難いところであるが、しかしながら他方、(イ)同証人は第二〇回公判における証言当時自らも公判継続中であつたが、当初の認否の段階で全て事実を認めており(第五回公判までの公判調書参照。但し、同人に対する昭和四九年(わ)第二三一九号被告事件については認否は明らかでない。)、しかも、第二九回、三一回公判における各証言当時はすでに判決が確定しており、従つて、同証人が本証言に際して自己の刑責を軽くせんとの意図から虚偽の証言に及ぶとは考えにくい面があること、(ロ)同証人に対する七月三〇日の覚せい剤密輸入の事件(昭和五〇年(わ)第八八三号)の起訴がなされて同証人が前記のとおり被告人が起訴されていないことを知りこれに不満を示した段階では、すでに同証人については逮捕後五カ月以上を経過していてその取り調べはほぼ終了していたと考えられるところ、同人の証言は右捜査段階の供述に比してとくに被告人に不利な内容を持つているとも思われず(なお同証人の捜査段階における供述内容については、被告人の司法警察員に対する昭和五〇年一月二〇日付供述調書の謄本などにより窺い知ることができる。)、従つて、同証人が前示のような不満を持つているとしても、これがために積極的に虚偽の証言に及んだとまでは認め難いこと、(ハ)さらに、弁護人が同証人が虚偽の証言をしているとして指摘するところも、これを個々的にみると、中には必ずしも証言どおり措信し難い部分も存するが、その多くは、のちにも触れるようにもとよりそれが虚偽とは言いえない部分のほか、いささか問題が存するとしてもただちにその真偽を判断しえないもの(同証人が早水忠雄の覚せい剤を運んだ時期、本件犯行前の被告人の覚せい剤仕入れ資金の出資の有無および額など。なお、後者については、前記被告人の司法警察員に対する昭和五〇年一月二〇日付供述調書の謄本などに徴すると、同証人の言うところの「出資」とは被告人が覚せい剤を売却して同証人に渡した分も含む意味で述べていると推測される。)、あるいは、単に表現上被告人の役割を強調しているにすぎないと考えられるもの(例えば、被告人が覚せい剤仕入れ資金を出資しなくなつたのちの密輸入に係る覚せい剤についても「ぼくと嶋田さんの分」と述べている点)が存するにすぎないことなどの諸点のほか、同証人の証言の際の受け答えの態度などをもあわせて考慮すると、前記のとおり、同証言には被告人の役割を実際以上に強調するような表現、内容の証言部分がみられる(従つて、同証人にも打算的な心理が全く働らかなかつたとはいえない。)としても、それ以上に、同証人が、自己の刑責を軽くするため、あるいは、被告人に対する前記の不満などから、被告人に刑責を被せようとして、ことさらに虚偽を、それも虚無の事実を述べるという証言態度に出ているとは到底考えられないのである。

その他、弁護人の所論に照らして、右野田証言の内容を仔細に検討しても、同証言の信用性を根本的に否定すべき事由は見い出し難く、結局、以上を要するに、もとより野田証言についても記憶違いや思い違い等は当然ありうるところであるから、およそ証言一般についてと同様、その個々の証言内容については、他の関係証拠とも照らして、その真偽を慎重に検討しなければならないことは言うをまたないところであるが、同証言が全体として極めて信用性に乏しいという弁護人の見解は採用し難く、むしろ、以上にみたような一般的な記憶の正確さおよびその証言態度から考えると、被告人に覚せい剤約二〇〇グラムを譲り渡したという証言部分にも、一応の信用性を肯認してよいと考えられるのである(なお、同証人が右譲り渡しの日時として述べるところはのちに検討する。)。

3  そこで次に、弁護人のいわゆるアリバイの主張を検討するに先立ち、前記野田証言と唐突に対立する被告人の公判廷供述の信用性を検討する。

被告人は、判示の日時場所において野田から覚せい剤約二〇〇グラムを営利目的で譲り受けたとの公訴事実に対して、当初、「預つたことは認めるが営利の目的で譲り受けたのではない。」旨認否し、また、検察官が、右の日時場所において覚せい剤約二〇〇グラムを営利目的で所持したとの予備的訴因を追加したのに対しても、営利目的の点を除きこれを認める旨認否していた(以上第五回公判。なお予備的訴因に対する認否につき第六五回公判調書参照)ものであるが、第一四回公判に至つて「九月二二日は和歌山の湯浅にいたことがはつきりしたので時間的に公訴事実の時間にホテルプラザに行くことは無理である。」と述べて先の認否を徹回し、以後、右の譲受事実(所持の事実についても同じ。)を全面的に否認している。そして右の公訴事実に対する認否の変更の理由については、被告人が、その後の公判廷において「九月二三日の午前〇時ころ今城光男に対して覚せい剤約二〇〇グラムを譲り渡した事実は間違いなく、また、右約二〇〇グラムの覚せい剤は、日にちの点は別として、前に野田から譲り受けていた覚せい剤であることも間違いないので、当初は一応事実を認めたが、その後、右今城との取引場所である岬公園には和歌山の湯浅から赴いたことに確信が生じ、九月二二日にはホテルプラザで野田から覚せい剤を譲り受けていないこともはつきりしたので、認否を変更した。」旨説明しているところ、第五回公判における事実認否前の段階において被告人から弁護人宛に差し出した書信中にも「他の起訴状分は先生に申し上げた通りで間違いありませんが、二〇〇グラム譲受の件について今一つ納得できない部分があり……」と、被告人が本件覚せい剤の譲受事実について当初から何らかの疑問を持つていたことを示す記載部分が存する。しかし、当裁判所としては、当初の認否の態様(すなわち、預つたことは認めているが営利目的での譲り受けは否認するという形になつている。)に照らして、被告人の前記の説明にはなお釈然としないものを感ぜざるをえず、また、かかる認否がなされたことが、右書信中で被告人が述べる「納得できない部分」があることの現れではないかとの感も否定し難いのであるが、反面、後記のとおり、被告人が今城との取引場所である岬公園に和歌山の湯浅から赴いたという点は必ずしも否定しえないところであると思われるので、この点は一応さておくとして、次に、被告人の第一四回公判以後の供述内容の信用性を関係証拠に照らして検討することとする。

被告人は、前記のとおり、九月二三日の午前〇時ころ、中野昭吉(もしくは木村文子。以下同じ。)の指示で、大阪府泉南郡岬町所在のドライブイン岬において、今城の使いである同人の内妻井上照子に対し、覚せい剤約二〇〇グラムを譲り渡して代金内金二五〇万円(但し、被告人は二〇〇万円と述べている。)を受領したことはこれを認めて争つておらず、またこの事実は関係証拠に照らしてもこれを肯認しうるところであるが、前記のとおり、右覚せい剤をその前日の九月二二日(あるいは、そのころ)に、判示ホテルプラザにおいて野田から譲り受けたとの事実は否認し、「右覚せい剤約二〇〇グラムは、以前野田から譲り受けて中野に渡し売却方を依頼していた約四〇〇グラムの一部で、八月末か九月の初めころ、中野の都合により自分が同人から残つた約二〇〇グラムを預かつて湯浅の自宅に保管していた分である。九月二二日の午前中野田から『残つている覚せい剤を早く処分して金を持つて来てくれ。』との電話があつたので、中野の指示で、湯浅の自宅から右約二〇〇グラムの覚せい剤を持つて今城との取引に赴いたものである。」旨延べ(第三七回公判)、また、野田から右約四〇〇グラムの覚せい剤を譲り受けたという時期については「八月末か九月の初めころではないかと思う。」旨述べ(第五五回、六一回公判など)ているところである。

しかしながら、もし右弁解のとおりの事実が存するとすれば、ドライブイン岬へ行つた日時の点を確認してはじめて公訴事実および予備的訴因に対する前記二回にわたる認否の誤りに思いをいたしたというのはいかにも不自然であるのみならず、証人木村文子はこの点につき「被告人に覚せい剤を預けていてそれを今城に売るように指示したことはない。そのときは被告人が『二〇〇グラムあるが急いで金が必要なので買つてくれ』と電話してきたので、覚せい剤約二〇〇グラムを代金一グラム一万八、〇〇〇円で買い受け、今城に連絡して、その晩被告人と今城とを取引させることにした。」旨、被告人の供述内容を明確に否定する証言をしているところ、同証人には、中野をかばう傾向が顕著に窺われ(なお、被告人の司法警察員に対する昭和四九年一二月一二日付供述調書参照)、従つて、右証言中、同証人あるいは中野のいずれが取引に関与したかという点に関する部分にはただちに措信し難いものがあるが、それ以上に、被告人との関係において、ことさら被告人に不利な虚偽の証言をするとは到底考え難いことでもあり、また、右に掲記の証言部分については弁護人の反対尋問に対しても矛盾なく断定的に証言しているところであるから、その信用性は相当高いものというべきである。従つて、被告人の前記供述内容のうち、少なくとも、今城に譲り渡した約二〇〇グラムの覚せい剤が中野から返却を受けて預つていたものであるという部分は、右木村証言に照らして措信し難いといわねばならない。そしてこのことは、さらに、本件野田からの譲り受けを否認する被告人の弁解の中核的部分そのものに強い疑念を生じさせずにはおかないのである。

のみならず、右の木村証言を別としても、本件犯行前の被告人の野田からの覚せい剤譲り受け状況および中野に対する覚せい剤譲り渡し状況を検討すれば、被告人の右弁解内容の信用性については疑問をいだかざるをえない。すなわち、被告人が七月三〇日ころから九月一八日ころの間までの間に野田から覚せい剤を譲り受けてこれを中野に譲り渡した状況は、被告人の司法警察員に対する昭和五〇年一月二八日付、同年三月四日付各供述調書に詳しく記載されているところであるが、この段階での譲り受け渡しの状況については、被告人も公判廷でとくに具体的に争つているわけではなく、また、右の各供述調書は、嶋田芳恵名義の普通預金口座の出入り状況、ホテル宿泊状況などのある程度客観的な裏付けをもつた資料に基づき記憶の喚起がなされて作成され(この点については被告人の司法警察員に対する昭和四九年一二月二七日付供述調書((「訂正」と表題のある分))参照)、しかも、野田の供述にも迎合することなく自己の記憶を述べていることが窺われる(この点については、被告人の司法警察員に対する昭和五〇年一月二〇日付供述調書の謄本参照)から、少なくとも、この段階での譲り受け渡しの状況を述べる被告人の捜査段階での供述内容は比較的信用性が高いものと考えられる(但し、例えば、嶋田芳恵名義普通預金口座中の八月一四日の欄の四〇〇万円の「振替出金」について合理的な説明がなされていないことなど、個々的には問題も存する。)ところ、右各供述調書によれば、被告人が七月三〇日ころから九月一八日ころまでの間に数回にわたつて野田から譲り受けたとされている覚せい剤はいずれもそのころ中野に処分してしまつたものと認められ、被告人が当公判定で弁解するように、一旦中野に渡しながらのちに約二〇〇グラムもの覚せい剤の返却を受けて自分が預かつていたという事実は見あたらない(なお、被告人の弁解にある時期に近い八月一七日ころ野田から譲り受けた約三〇〇グラムの覚せい剤については、中野から預かつておいてくれと言われて自分が預かつていた旨の供述記載が存するが、右覚せい剤については、のちに前回分の代金および代金がわりの腕時計四個を受け取つたのとひきかえに、中野に渡したというのであつて、この点は被告人の公判廷における供述に照らしても事実と認められる。)。もつとも、右供述調書に記載されている以外に被告人が野田から覚せい剤を譲り受けたことがあるのに、捜査段階でこれを供述しなかつたという場合もありえない訳ではないが、前記普通預金の出入り状況の資料や野田との供述のくい違いを検討しながら供述調査が作成されていつたという経緯にかんがみても、野田が密輸入して処分しえた覚せい剤の量が限られていたことから考えても、被告人が述べるような約四〇〇グラムもの覚せい剤を野田から譲り受けたのに、捜査段階で全くこれを秘匿するということは実際上不可能であると思われる。被告人の前記弁解内容はその信用性に疑問があるといわなければならない(なお、以上に覚せい剤の譲り受け渡し状況を検討したところからすれば、被告人が九月二三日の午前〇時ころに今城に譲り渡した覚せい剤約二〇〇グラムは、少なくとも九月一九日ころ((すなわち被告人が九月一八日ころに野田から覚せい剤を譲り受けて中野に処分したため、手元に覚せい剤を有していなかつたと考えられる時点))以降九月二二日に中野に覚せい剤の処分方を依頼した時点までの間に野田より入手したものであることの帰結をも導きうるのである。この帰結は、以上の検討が被告人の供述調書に基礎を置くものであるとしても、少なくとも野田証言を補佐するひとつの根拠とはなしうるものと考えられる。)。

4  そこで、弁護人のいわゆるアリバイの主張をみてみるに、右主張は、当初訴因に本件犯行日時として「昭和四九年九月二二日午後七時頃」と記載されていたのを検察官が右は正確には「昭和四九年九月二二日ころの午後七時ころ」の意味であると釈明したのに対し、野田証言によれば本件犯行日時は九月二二日しかありえないとして、その日の午後七時ころに被告人がホテルプラザにいなかつたことを、直接的に、あるいは、被告人は九月二三日午前〇時ころ前記岬公園で取引した際ホテルプラザではなく和歌山の湯浅から赴いたものであり、この事実とその前日の九月二二日午後七時ころ被告人がホテルプラザにいた事実とは両立しえないとして、右を間接的に主張しているものである。

ところで、九月二三日の午前〇時ころに被告人と前記今城(井上)との間でなされた取引は、大阪府と和歌山県のほぼ県境にある前記岬公園のドライブイン岬でなされているが、当時、取引相手の今城は大阪市都島区内に居住しており、被告人も九月一九日ころ今城方を訪れていて九月二二日当時も当然このことを知つていたのであるから、被告人が右今城に覚せい剤を渡そうとして大阪市内の判示ホテルプラザから出発したのであれば、何故にわざわざ岬公園まで赴いたのかという疑問は当然生ずるところであり、この点については種々の説明か可能ではある(例えば、前記木村証言および今城の供述調書によれば岬公園は今城の指定によるものである。また、第五九回公判の土居証言参照)が、被告人が今城との取引に際して、大阪市内のホテルプラザではなく、和歌山県湯浅町から出発したからこそ取引場所として湯浅と大阪の中間地点である前記岬公園が選ばれたとの説明が最も明快であるのみならず、証拠上も弁護人指摘の木村証言、今城の供述調書などを検討すると、右のように、被告人が岬公園に赴いたのは湯浅町からではないかとの疑いが強く生ずるのである。従つて、弁護人が、被告人の母あるいは妻の証言などに基づいて右日時には被告人は湯浅町の自宅にいたものであると主張する直接のアリバイの当否は別としても、少なくとも、前記の間接的なアリバイの主張については、以上にみた限度で一応理由があると考えられる。

しかしながら、当時被告人は自動車を利用していたもので、ホテルプラザから一旦湯浅の自宅に帰り、あらためてドライブイン岬に赴くことも時間的には十分可能である(但し、木村証言に表れている同人と被告人との電話連絡の時間と回数の点において若干の問題はあるが、この点に関しては同証人の記憶の誤りも考えられないではない。)のみならず、弁護人が以上の立論の前提として述べる、野田証言によれば本件犯行日時は九月二二日しかありえないとの主張は採用できない。なるほど、野田証言をみると九月二〇日ころから九月二四日までの出来事が曜日の特定とも結びついて一応明確に述べられており、それによれば本件犯行日時は九月二二日となつているが、前示のとおり同証人についても記憶違いや思いなどは当然ありうるところであるうえ、一般的にも、とくに日時の点に関する記憶は月日の経過などにより不明確となりやすく、たとえそれに関する供述が曜日の特定と結びついているような感を呈している場合においても、その実、必ずしも記憶が明確でない場合が多く、このことは、例えば同証人が九月二一日は土曜日であると記憶している旨述べながら、前田、溝口から覚せい剤仕入れ資金一、三五〇万円を受け取つた日時についてはこれが当日の朝であると述べてみたり、前日の夜かもしれないと述べてみたりして結局これを明らかにしえていないことからも窺われるように、同証人の日時の点に関する記憶についてもその例にもれないと考えられるのである。さらに、同証人が、本件の譲り渡しは、九月二一日に被告人に現金二、九〇〇万円を渡してこれを銀行保証小切手にしてもらつたのちのことであり、さらに、九月二二日に名古屋から帰つてのちのことであるとして、その日時を特定する根拠を述べている点を検討すると、右の先後関係自体に記憶の誤りが介在しうる可能性(とくに、後者については、同証人に対する弁護人の尋問によると、名古屋に行く前に被告人に覚せい剤を渡した旨の同証人の供述調書の存することが窺われるのであつて、記憶違いの可能性がないとはいえない。)は一応別にしても、右のうち、名古屋に行つた日にちが九月二二日であるとして述べている点については、このこと自体同証人も確たる根拠を持つて述べている訳ではないのであつて、前記のとおり日時に関する同人の記憶がやや不明確であることを考えると、右の点も本件犯行日時を特定する根拠としてはいささか薄弱であると言わなければならない。

結局、本件犯行日時を九月二二日と限定して述べている野田証言についても、こと右日時の点に関する限り、これに万全の信を置きえないものであることは以上のとおりであり、また、以上にその理由を述べたところからすれば、このことが、右日時以外の点に関する同証人の証言内容の信用性を根本的に崩壊せしめるものでないことも明らかであろう(現に、前田、溝口から一、三五〇万円を受け取つたという事実は、同証人の日時に関する記憶がやや不明確であるにもかかわらず関係証拠に照らして疑いない。)。野田証言については、その日時にある程度の幅を持たせながら、なお、前記のとおり、その供述内容に一応の信用性を肯認することが可能なのである。

以上要するに、判示覚せい剤約二〇〇グラムの授受に関しては、被告人や野田開治を含む関係者らの時により打算や迎合を伴つた供述態度といささか杜撰とすら思われる捜査とが相まつて関係各証拠間に矛盾点や齟齬する部分の多いことは否めないが、それにもかかわらず、(イ)被告人および弁護人も争わず、証拠上も動かし難い事実である、九月二三日の午前〇時ころドライブイン岬で被告人から前記今城の使いの井上に対して覚せい剤約二〇〇グラムを譲渡したとの事実に加うるに、(ロ)右譲渡当時被告人の取得した覚せい剤はすべて野田開治からであり、その受け渡し場所も判示ホテルプラザ以外には考えられないこと、そして、この点に関し、右(イ)の覚せい剤が前記中野から預かつたものである旨の被告人の弁解は前判示のとおり全く採用し難いものであること、(ハ)前記木村証言や今城調書によれば、被告人の右覚せい剤の取得日時は右の譲渡日時とかなり接着したものであることが窺われること、さらに、(ニ)前判示のとおり野田証言については、日時等細部に関してはともかく、覚せい剤約二〇〇グラムの受け渡しというような基本的な事実についての虐偽が存するとは考えられないことなどを総合すると、本件については、犯行日時などの詳細を明らかにしえないところではあつても、判示のとおり、被告人が九月二二日ころの午後七時ころホテルプラザにおいて野田から覚せい剤約二〇〇グラムを譲り受けた事実に関しては、到底これを否定することはできない。

よつて、弁護人の主張は採用できない。

なお、本件公訴事実については、本件二〇〇グラムの覚せい剤が判示第一の密輸入にかかる覚せい剤の一部であることから、その共同正犯者間における授受については覚せい剤譲り受けの罪は成立しないとして、営利目的所持の予備的訴因が追加されていたものであるが、後記のとおり、判示第一の犯行については被告人は幇助犯にとどまると認められるので、覚せい剤譲り受けの主位的訴因を認定した次第である。

三、判示第一および第三の各犯行について幇助犯を認定した理由

1  検察官は、判示第一および第三の各犯行について、被告人は判示野田らとの共謀共同正犯の罪責を問われるべきであると主張し、さらに、右共謀は事前かつ順次共謀であつて、被告人は野田との間で右各犯行の事前共謀を遂げ、判示のその余の者らはそれとは別個の機会に右野田との間で事前共謀を遂げたものであるとして、共謀成立の経緯につき具体的に明らかにしている(昭和五一年六月一四日付釈明書、第三回公判期日における追加釈明、なお冒頭陳述要旨第五の三以下。)。もつとも、前掲関係証拠に徴すると、右野田と判示の被告人以外の者との検察官所論のとおり右各犯行の事前共謀が遂げられたことは、これを肯認しうるところであるから、ここでは、被告人と右野田との間での事前共謀の成否につき検討を加えて行くこととする(なお、判示第一の各犯行と判示第三の犯行とでは、被告人が具体的に関与した行為が異なるが、のちに論述するところから明らかなように、このことによつて共謀の成否が異別に解されることはないので、以下、右各犯行につき一括して検討する。)。

2  まず、関係各証拠を総合すると、右各犯行は次の経緯により敢行されるに至つたことが認められる。すなわち、

(1) 被告人は、いわゆる暴力団佐々木組系紀州会二代目会長である前記中野昭〓方に出入りするうち、昭和四八年九月下旬ころ、同人および佐々木組系川崎組組長川崎秋彦から、韓国から覚せい剤を日本に運び込むいわゆる運び屋を依頼されてこれを引受け、以後、昭和四九年三月ころまでの間に、同人らの依頼により、数回韓国から覚せい剤を日本に運び込んでいた。

(2) そして、昭和四九年三月ころからは、被告人も自己の覚せい剤仕入れ資金を韓国に持参するようになり、その後、川崎らから運び屋の依頼を受けなくなつてからは、同年六月中旬ころまでの間、自己の計画、計算のもとに自ら渡韓して覚せい剤を日本に密輸入していた。

(3) 一方、被告人は、同年一月ころ、かねて知り合いの野田開治と再会して交際を続けるうち、同人に二、三回覚せい剤を譲り渡したことがあつたが、その後、同人から覚せい剤の密輸入に携わりたい旨依頼され、同人にパスポートやビザの手続を教示するとともに、同年五月上旬渡韓した際には、韓国内で野田と落ち合い、同人に覚せい剤仕入れ先の具外出を紹介するなどした。そして、帰国後野田は被告人の覚せい剤の運び屋となることを引き受け、前記(2)のように被告人が自ら渡韓していた間も、二回ほど被告人の覚せい剤を運び込んでいた。

(4) しかし、被告人は、当時別件詐欺事件で保釈審理中の身で渡韓しにくい事情にあつたことなどから、同年六月一六日に帰国したのち、野田とも話し合いのうえ、以後自らは渡韓することなく、仕入れ資金を野田に預けて、韓国での仕入れを含む一切を野田に任すことにした。

(5) その後、判示各犯行に至るまでの間、野田(後記のとおり、中林、桝矢を含んだ野田グループの意)は、(イ)同年七月一日、(ロ)同月一二日および一七日、(ハ)同月三〇日、(ニ)同年八月一五日と四回にわたつて覚せい剤を日本に密輸入していたが、被告人は、右(イ)、(ハ)の密輸入については、前記の話し合いどおり、野田の渡韓に先立ち、同人に自己の計算による仕入れ資金を前渡しし、その帰国後、いわゆる運び賃を含めて一グラム一万一、〇〇〇円程度の割合で、出資分に応じた覚せい剤の配分を得て、中野に処分し、あるいは野田に売り捌きを依頼するなどしていた。

また、一方、被告人は、同年五月ころ、前記中野から、同人の密売する覚せい剤を仕入れるべく依頼されていたことから、右(ロ)、(ニ)のように自らは出資しない場合にも、野田らの帰国後に、約三〇〇ないし五〇〇グラムづつの覚せい剤を同人から一グラム一万六、〇〇〇円の割合で譲り受け、これを一グラム一万八、〇〇〇円の割合で中野に譲り渡していた。

(6) ところで野田は、当初被告人の運び屋として渡韓していた間も、別に早水忠雄などからも依頼を受けてその分の覚せい剤も日本に運び込んでいたが、やがて自分も覚せい剤仕入れ資金を出資するようになり、さらに、前記のとおり、被告人が渡韓しなくなつてからのちは、中林数教、桝矢顕文を自己輩下の運び屋に引き入れるとともに、韓国での覚せい剤の仕入れ先も、前記具外出からより良質の覚せい剤を供給する朴正益(なお、野田は、被告人から朴正益が良質の覚せい剤を出すことを聞いていたと考えられるが、仕入れ先を実際に変更したのは野田の判断によると認められる。)にかえ、また、全く被告人とは別個に、渡韓中面識を得た溝口弘、前田公生や前記川崎などの和歌山グループとも交渉して、前記(5)の(ニ)の八月の渡韓からは、右和歌山グループからも仕入れ資金を預つて渡韓するようになり、同時に自らも多額の仕入れ資金を出して覚せい剤を密輸入するなど、前記(5)の(ニ)の八月の密輸入当時には、すでに、被告人から独立した密輸入グループの中心的存在となるに至つており、渡韓の時期、方法などについても全く被告人の指示を受けることなく、野田が独自に決定していた。

そして、八月二六日ころ覚せい剤代金の清算問題から被告人と野田との間が若干気まずくなり、二人で話し合つた結果野田から「一一月ころまでは経費程度でいろいろなことをしてくれ。」との話があり、被告人もこれを了承した。

(判示第一の犯行についての被告人の関与など)

(7) 被告人は同年八月二九日ころ、野田の依頼を受けて、同人が近々渡韓するため覚せい剤仕入れ資金を作ろうとしていることを知りながら(この被告人の認識は関係証拠上優に推認されるところである。)、覚せい剤を東京の内田昭義に届け、代金を受領して野田に手渡した。

(8) また、被告人は同月二一日ころ野田から「覚せい剤仕入れ資金は、先方(朴正益の意)が銀行保証小切手にして欲しいと言つている。」と聞き、右の便宜に供するため、野田の依頼を受け、同人から二〇万円を預つて、同日、三菱銀行大阪支店に赴き架空人山本晴夫名義の普通預金口座を開設したが、その後同年九月二日、野田の渡韓に先立ち、判示のとおり、野田が投宿中の判示ロイヤルホテルにおいて、同人から覚せい剤仕入れ資金二、四〇〇万円を渡されてこれを銀行保証小切手にすることを依頼され、同日、前記中林(野田は同人を、いわば被告人の監視役にすると同時に、同人に小切手発行依頼の手続を覚えさせるため同行させたものと考えられる。)を伴つて三菱銀行大阪支店に赴き、右二、四〇〇万円を前記預金口座中の一〇〇万円とあわせて額面五〇〇万円の銀行保証小切手五通の発行を受け、これを野田に交付した。

(9) 野田および前記桝矢は同日渡韓し、また、中林も同月四日自ら一、四〇〇万円を銀行保証小切手にかえたうえ渡韓し、同人らは判示のとおり、同月一三日および一四日、覚せい剤合計約三キロ五〇〇グラムを密輸入して帰国し、うち約二キロ五〇〇グラムを和歌山グループに、うち約一キログラムを同人らの分と配分した。

(判示第三の犯行についての被告人の関与など)

(10) 被告人は、同月一八日ころ、野田から右の密輸入にかかる覚せい剤のうち約三〇〇グラムを代金一グラム一万六、〇〇〇円で譲り受け、そのころこれを前記中野に代金一グラム一万八、〇〇〇円で譲り渡した。

(11) また、被告人は、同月二一日、野田が投宿中の判示ホテルプラザにおいて、同人から覚せい剤仕入れ資金二、九〇〇万円を渡されてこれを銀行保証小切手にすることを依頼され、同日、判示記載のように、銀行保証小切手二九通の発行を受け、これを野田に交付した。

(12) さらに、被告人は、判示のとおり、同月二二日ころの午後七時ころ、野田から「二四日に渡韓するから急いで売り捌いて欲しい。」と依頼されて、覚せい剤約二〇〇グラム(これは、一旦は和歌山グループに配分した前記(9)の覚せい剤のうちから、野田が約四九〇グラムの返却を受けて売り捌いた残りである。)を代金一グラム一万六、〇〇〇円で譲り受け、その後これを中野に代金一グラム一万八、〇〇〇円で譲り渡して、その指示でこれを前記今城の使いである井上に処分し、同人から内金二五〇万円を受領して、二三日夕方ころ、右二五〇万円をホテルプラザの野田に交付した。

(13) その後、野田は同月二四日に、中林は同月二七日に渡韓し、同人らは判示のとおり、同月三〇日、覚せい剤約四キロ五七七・四六グラムを密輸入して帰国した。

(14) なお、被告人は、右野田らの帰国に先立つ同月二八、九日ころ、同人から「三〇日に帰るからホテルの部屋を予約しておいてほしい。金も五〇万円用意しておいてほしい。」との依頼を受けてこれを承諾し、前記今城のところに赴いて残代金五〇万円を集金して野田らが帰国した際にこれを手渡し、また、同日午後五時過ぎころ前記ホテルプラザに二室を予約しておいた。

3 以上の各事実は関係各証拠を総合してこれを認定したところであり、検察官が前記釈明書などにおいて共謀成立の経緯として具体的に明らかにした事実も以上に認定した限度でこれを肯認しうる。なお、幇助犯の罪責をも争う弁護人は、以上に認定した事実のうち、とくに(11)の被告人が九月二一日に野田の依頼を受けて二、九〇〇万円を銀行保証小切手にかえたとの点について詳細な論拠をあげてこれを争つているところであるから、ここで右の事実を認定した理由につき説明を加えておくこととする。

この点につき、被告人は、公判廷において終始、右二、九〇〇万円分の小切手発行依頼書の依頼人欄の筆跡は自分のものではないし、また、右当日に野田から依頼を受けて銀行に行つたこともない旨供述して争つているところ、右小切手発行依頼書の依頼人欄の筆跡が被告人のものでないことは明らかである(鑑定人奥田豊作成の鑑定書)。一方、この筆跡が異なることにつき捜査段階のかなりのちの時期に作成された被告人の司法警察員に対する昭和五〇年二月五日付供述調査には「右小切手発行依頼書は一度自分が書いたものの、書き間違いをしたため銀行の係員に書いてもらつたことを思い出した。」旨の供述記載が存するが、当時三菱銀行大阪支店の定期預金係の窓口にあつて右小切手発行依頼書を直接に取り扱つた証人川端泰永子は右が自分の筆跡であることを否定しており、また、同証言によつても必ずしも他の銀行員の誰かが現実に代筆した可能性までは否定されていないとはいえ、同銀行において小切手発行依頼書を代筆するのは、通常は依頼者自らが字を書けないようなごく限られた場合であるというのである(右証言および司法警察員作成の昭和五二年六月一〇日付捜査復命書)から、銀行手続に明るく、そのため前認定(8)のように野田からしばしば銀行取引手続の依頼を受けていたこの被告人の場合に前記川端以外の銀行員の誰かが右発行依頼書を代筆したということも、いささか考え難い。そしてこのことに、捜査段階においては被告人の前記自供の裏付捜査が全くなされていなかつたこと(これはいかにも不自然であるとの感がぬぐい難い。)をあわせ考えると、被告人の右供述部分の信用性にはかなりの疑問が存すると言わざるをえない。

しかしながら、この点につき、九月二一日の午前中に被告人に現金二、九〇〇万円を渡して銀行保証小切手にすることを依頼し、その後被告人から小切手二九通を受けとつた旨明言する証人野田開治の証言は、前記のとおりその一般的な記憶の正確さおよび証言態度からしてその信用性を容易に否定しえないものがあるうえ、とくに、右の点に関しては「被告人に右の依頼をしたとき、被告人は下に誰か待つているということを言つたが、自分に会つては都合の悪い人だと言うので会わなかつた。」、「被告人が小切手を持つてきたとき、被告人から『二万円足りなかつた。銀行にピピピとお金をはかる機械があつたんだ。』と言われて自分が二万円支払つた。』旨、その前後の状況をきわめて具体的に述べているところであつて、同証人がそこまで虚偽の事実を述べているとは考えられない(金額不足の点については被告人の司法警察員に対する昭和四九年一二月二一日付供述調書中にも表われているところである。但し、その額は一万円という。)。弁護人は、野田の検察官に対する昭和五〇年二月一七日付供述調書には、被告人に銀行に行つてもらつたのは九月二一日の午後である旨細かく時間的順序を追つてなされた供述部分が存するとして、右野田証言の信用性を争うが、右供述内容が実際にありうる場合なら格別、九月二一日は土曜日で前記小切手発行手続が午前中になされていることは疑いなく、右の供述内容はそれ自体ありえないことであり、明白な言い間違いか書き間違いに他ならないと考えられるから、右の供述部分が存することをもつて野田証言の根本的な信用性を弾劾することはできない(他に弁護人が野田証言の矛盾として指摘する部分については、二項の2に説示したとおりである。)。

そして、右の野田証言に、前に述べたとおり被告人の公判廷供述にはただちに信用性を認め難い面が存すること(二頁の3参照)をもあわせ考えると、右小切手発行依頼書の依頼人欄の筆跡が何人のものであるか(すなわち、何らかの理由で銀行員が代筆したか、それとも、より可能性の存する場合として、被告人が自分の知り合いの誰かをして代筆せしめたか)、さらには、被告人自身が当日銀行に赴いているか否かさえもこれを明らかにしえないところであるとしても、九月二一日に被告人が野田から現金二、九〇〇万円を渡されてこれを銀行保証小切手にすることの依頼を受け、のちに小切手二九通を野田に渡しているという事実については、これを認めざるをえないのである。

4 そこで、先に認定した事実に基づいて判断すると、被告人は、野田らの判示第一および第三の各犯行を認識容認し、判示掲記の各所為をもつて右各犯行を容易にさせていた事実は認められるが、それ以上に、右各犯行につき野田らと一体になりその実行行為を介して自己の犯意を実現すべく右各犯行に加担していたものとまでは認められず、右各犯行について幇助犯が成立するのは格別、被告人に野田らとの共謀共同正犯の罪責を負わせることはできない。以下においてその理由を詳述する。

共謀共同正犯の成立が肯認されるためには、非実行行為者において、実行行為者の犯行を認識容認しているというだけではなく、さらに実行行為者と一体になりその実行行為を介して自己の犯意を実現していると認められなければならないと解すべきところ、前認定のとおり、被告人は、本件犯行当時、前記和歌山グループのように覚せい剤仕入れ資金を出資して事後にその資金額に応じた覚せい剤の配分を受けていた訳ではなく、また、前認定の経緯に徴すれば、少なくとも本件犯行当時においては、野田グループが被告人から独立した存在になつていたことも明らかなところで、野田が被告人輩下の運び屋であつて被告人は同グループの首魁的存在であつたと言いえないのは勿論、また逆に、被告人が、前記中林、桝矢らのように、野田輩下の一員として同グループに組み入れられていたものでないことも明らかである。

ところが、検察官は、本件犯行当時においても被告人と野田との間では覚せい剤、密輸入グループを形成しており、本件各密輸入は被告人と野田との共同事業であつた旨主張して、次のようにその論拠を述べている。すなわち、本件犯行当時、右両名の間においては、野田らが専ら韓国で仕入れた覚せい剤を本邦に持ち込む役割を担当し、一方、被告人は、同人らの渡韓準備などに協力するとともに、密輸入した覚せい剤を売り捌き次回の覚せい剤仕入れ資金を拵える役割を担当し、また、利得金の配分については、右両名の間では所要経費を平等に負担するとともに挙げた利益を折半するとの約定がなされていたというのである。

なるほど、前示のとおりその証言内容の信用性を軽々には否定しえない前掲野田証言中には、「僕と嶋田さんの分の覚せい剤は嶋田さんが全面的に売り捌くということで二人の間で了解に達した。」「費用は全部半分づつにしようということになつた。」(以上、第二〇回公判)、「『私は韓国から密輸入だけをする。あとのことは頼むぞ。』との話は二人でした。」(第三一回公判)旨の右検察官の主張の論拠の一部に沿う証言部分が存するところであり、右の話し合いがなされた時期については、野田証言では必ずしも明確とはいえないものの、少なくともその一部は本件各犯行に先立つ八月末ころのことで、前記2の(6)後段記載の話し合いと同一機会におけるものであることが窺われる。

しかしながら、先に認定したところから明らかなように、右の話し合いがなされたのちに被告人が現実に売り捌いた分は、判示第一の犯行による密輸入分については一キログラム中の三〇〇グラム、これに和歌山グループから返却を受けた分を含めても一キロ四九〇グラム中の五〇〇グラム(ちなみに、その前の八月一五日の密輸入分((前記2の(5)の(ニ)))については、関係証拠によると一キロ三〇〇グラム中の六〇〇グラム)程度であつて、その余は野田、中林、桝矢、内田らが売り捌いており、現実に被告人が売り捌いた割合はさほど大きなものではないうえ、実際上、当時の被告人の覚せい剤処分先が中野以外には存しなかつたことをあわせ考えても、前記の話し合いで文字どおり被告人が全面的な売り捌き役を担当することの合意が成立していたとは考えられない。のみならず、右のように被告人が密輸入にかかる覚せい剤の一部を野田から譲り受けてこれを売り捌いている理由をみても、前認定のとおり被告人がかねて中野から覚せい剤を仕入れるよう依頼されていて、現実にも右の覚せい剤はすべて中野に対してその処分がなされている事実に徴すると、右の売り捌きは、自己の利得の目的は別として、主として右中野の依頼に応ずる目的でなされたものと考えられる。もつとも、被告人としても、たとえ九月二二日ころの約二〇〇グラムの件のような明示の申し出がない場合においても、右の売り捌きにつき、野田らに協力して覚せい剤仕入れ資金を拵えようとの意図が存したことも否定できないが、これも、先の中野の依頼に応ずる目的を達成するために付随的に生じたという面が強いと考えられる。従つて、前記のとおり、被告人が現実に密輸入にかかる覚せい剤の一部を売り捌いている事実が存するからといつて、このことをもつて、被告人が覚せい剤密輸入グループ中の売り捌き役というべき役割を分担していたとまで評しうるものでもない。さらに、被告人が本件各犯行に際して野田の依頼を受けてその渡韓準備などに協力していた事実は認められるが、それ以上に、被告人が、渡韓準備役などとして明確に位置づけうるような役割を担当していたとまで言えないことは、この点についての被告人の関与が前認定の2の(7)、(8)、(11)、(14)(なお(7)の内田に対する処分は、野田の依頼により覚せい剤を内田に届けただけのもので、売り捌きと評しうるものではなく、むしろこの範ちゆうに属すべき行為であろう。)の程度に限られていて、しかも、右(8)、(11)については、たまたま被告人が銀行関係に明るくあるいはたまたま中林らが不在であつたことから野田が被告人に依頼したと考えられること(野田証言)からも明らかである。その他、被告人と野田とが経費を分担するとの点については、これが現実に実施されていたという形跡は見あたらないのである。そして、これらの諸点を総合すれば、野田と被告人の前記話し合いの実質は、むしろ被告人が昭和五〇年三月四日付供述調書中で述べているように「被告人は経費程度で色々なことをする。」という点にあつたものと認めるのが相当であり、右野田証言は採用できない。

また、検察官所論の利益を折半する約定が存したとの点については、野田自身このことを明確に述べている訳ではない(第二〇回公判の同人の証言中二〇、二一丁参照)のみならず、被告人は、被告人が出資していた前記2の(5)の(イ)、(ハ)の分については一グラム一万一、〇〇〇円の割合で配分を得ており、また、判示共犯者川崎、前田、溝口らが、いわゆる運び賃を含めて一グラム一万円をわずかに超える程度で覚せい剤の配分を得ていたのと異なり、前認定のとおり、野田から覚せい剤を一グラム一万六、〇〇〇円で譲り受けてこれを一グラム一万六、〇〇〇円で中野に譲り渡しており、その転売差額を自己の利得として取得していたものであつて、それ以上に野田から利益の配分を受けていた訳でもないのであるから、被告人と野田との間で利益を折半するとの約定が存したものとは認められない。

従つて、被告人が、本件各犯行につき密輸入にかかる覚せい剤の一部を売り捌いて次回の覚せい剤仕入れ資金を拵らえたことやあるいは野田らの渡韓準備などに協力していた事実は認められるとしても、これをもつて、被告人が覚せい剤密輸入グループにあつて、これを自己の役割として担当していたものであるとまでは言うことができず、また、野田との間で必要経費あるいは利得を折半していた事実も認められないのであるから、前記検察官の本件犯行当時被告人と野田がともに覚せい剤密輸入グループを形成していたという主張の論拠として述べる点は採用し難く、他に、被告人が野田との間で判示第一および第三の各犯行の事前共謀を遂げたことを肯認するに足る証拠も存しない。

なお、弁護人は、右各犯行について被告人がなした各行為はいずれも幇助意思の下になされたものではなく、また、判示第三の犯行については幇助行為そのものが認められない旨主張して、幇助犯の罪責をも争つているところ、前記のとおり、被告人が中野の依頼を受けて同人の密売する覚せい剤を仕入れる目的で野田らと接触していたことは否定できないが、同時に、同人らの密輸入に協力しこれを容易にさせる意思で判示各所為に及んでいたことも優に肯認しうるところであるから、幇助意思が存しないとの弁護人の主張は採用しえず、また、判示第三の犯行につき、覚せい剤輸入の幇助が認められたとしてもこれが直ちに関税逋脱の幇助とはならない旨主張する点については、本件のような航空機を利用しての覚せい剤密輸入行為には当然関税逋脱行為が随伴するものであるから、前者の幇助行為たりうる行為は同時に後者の幇助行為を構成するものというべく(弁護人所論のように、とくに通関の際の覚せい剤隠匿行為に関与したような場合にのみ関税逋脱の幇助犯が成立するという見解は採用しえない。)、また、被告人も右のように覚せい剤を密輸入するに際しては当然関税を逋脱するに至ることを十分認識容認しながら判示の所為に及んでいたものと認められる。その他弁護人が幇助犯の成立を否定すべき事由として主張する点については、すべて前に判断を示してこれを排斥しているところである。

なお、付言するに、判示第一および第三の各犯行は、共謀共同正犯の訴因で起訴されているが、前に認定した被告人の各加功行為のうち、少なくとも、判示掲記のものについては、本件審理の過程において、被告人側から、その存否あるいはそれが共謀の事実を立証する間接事実たりうるか否かをめぐつて、防禦活動が尽くされているところであるから、訴因変更手続をとらずに、これらを判文に掲記して幇助犯を認定した次第である。

(確定裁判)

被告人は、昭和四九年一〇月二三日大阪高等裁判所で詐欺罪により懲役二年六月に処せられ、右裁判は同五〇年二月一一日確定したものであつて、この事実は検察事務官作成の前科調書によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一の各所為はいずれも刑法六二条一項、覚せい剤取締法四一条二項、一項一号、一三条に、判示第二の所為は同法四一条の二第二項、一項二号、一七条三項に、判示第三の所為は刑法六二条一項、関税法一一〇条一項一号に各該当するところ、判示第一の各罪についてはいずれも覚せい剤取締法四一条二項後段所定の有期懲役刑および罰金刑により、判示第二の罪については同法四一条の二第二項後段所定の懲役刑および罰金刑によりそれぞれ処断することとし、判示第三の罪については所定刑中懲役刑を選択し、判示第一の各罪および判示第三の罪についてはいずれも従犯であるから、判示第一の各罪については刑法六三条、六八条三号、同条四号により、判示第三の罪については同法六三条、六八条三号によりそれぞれ法律上の減軽をし、同法四五条前段および後段によれば、以上の各罪と前記確定裁判のあつた詐欺罪とは併合罪の関係にあるので、同法五〇条によりまだ裁判を経ていない判示各罪につきさらに処断することとし、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第二の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし(但し、短期は刑および犯情の重い判示第一の一の罪の刑のそれによる。)、罰金刑については同法四八条二項により判示第一の各罪および判示第二の罪の各罰金額を合算し、右の刑期および金額の範囲内で処断すべきところ、情状をみるに、本件は先に認定の経緯で敢行されるに至つたものであるが、その罪質、取り扱われた覚せい剤の量、さらには、判示第一および第三の犯行がきわめて組織的、計画的な犯行であることなどの犯情のほか、本件がいずれも前記確定裁判欄掲記の裁判の保釈審理中に敢行されている事実もあわせ考えると、その刑責は相当重大なものであるといわなければならないが、反面、判示第一および第三の各犯行についての幇助犯としての加功の態様に加うるに被告人には改悛の情も認められ今日では真面目に稼働していること、その他とくに共犯者らとの処分の権衡を考慮し、被告人を懲役三年および罰金五〇万円に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中五〇日を右懲役刑に算入し、右の罰金を完納することができないときは同法一八条により金五、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、なお、判示第三の罪に係る覚せい剤粉末中没収することができない残余の三キログラムの価額の追徴の点について判断するに、関税法一一八条二項にいわゆる犯人とは、同法一一〇条の犯罪に係る場合にあつては、犯罪貨物の所有者に限らず、当該犯罪に関与したすべての犯人を含む趣旨であるから、被告人のような幇助犯に対しても追徴を科しうるといわなければならないが、同条項は所有者でなく元来没収を科せらるべきでない者に対しては場合により追徴を科さないことも許されると解するのを相当とするところ(最高裁判所昭和三三年三月五日大法廷判決、第一二巻三号三八四頁参照)、本件においては、被告人は犯罪貨物の所有者でも、その後の取得者でもないこと、正犯である判示野田開治、中林数教、溝口弘、前田公生は被告人と共に起訴されてすでに右価額について追徴を科せられていること(なお、同じく正犯である判示川崎秋彦に対しても別起訴があり追徴を科せられている。また、本覚せい剤三キログラムの所有者は、本件犯行時においては右野田開治であり、その後は右溝口、前田、川崎の三名である。)、関税法一一八条二項は、同法一〇九条一項、一一〇条一項の罪の実質的な幇助者ないしこれに類する者に関する規定である同法一一二条の犯罪にかかる場合においては、追徴を科しうる犯人をその貨物の取得者に限つていること、その他被告人の幇助犯としての加功の態様などをあわせ考えると、被告人に対して追徴を科するのは相当でないと思料されるので右追徴は科さないこととし、訴訟費用中主文掲記の分は刑事訴訟法一八一条一項本文を適用してこれを被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

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